語学学校の先生って、移民である生徒をみくびっている人がたまにいる。全員じゃないけど、体感的に3割くらいはそう。今の学校は2人担任制だけど、1人は一歩踏み込んだ内容を教えてくれ生徒への期待「これくらいできるはず!」ていう意気込みを感じるが、もう1人は「どうせお前らに理解できるのはこの程度がせいぜいだろ。」ていう気配をうっすら感じる。
まあ、ほんとに西欧が期待する移民というのは「愚鈍で真面目で肉体労働を厭わない低学歴な外国人」であるんだとヒシヒシと感じるし、そこに自分があてはまらないことに居心地の悪さを感じることがある。
授業中、自分の子供時代仏語で説明して、と言われて「学校に行った後は、進学塾に通っていました。」というと「進学塾ではなく『初等教育サポート福祉施設(学校の内容が理解できない子供が補助を受ける機関)』と書くべきです。」みたいに言ってくる。は?ご冗談でしょ???て思うけどあえて突っかかったりはしない。また、「娘のドイツ語とフランス語の宿題を手伝いました。それらは時々難しかったです。(文法の便宜上そう書いただけで本来全く難しくない)」て説明したら、「『とても』難しかった、の間違いですね。」というではないか。は?!私ドイツ語C1(ドイツの大学入学許可レベル)に2023年に合格してるんだぞ?おめーーより、はるかにドイツ語できるわボケ、て思ったよね。でも、つまり先生は私をそれくらいのバカだとナチュラルに信じているんですよね。まぁ、もうナチュラルに「二等市民が自分たちより頭が良いなんてありえないし、あってはならない。」て思ってるんですよね、奴らは。。。
私が夫が学者で引越しが多いと説明しても「貧しい移民が定住できなくて引越ししまくってお気の毒。」くらいのもんよ。
でも、私も語学勉強歴が長くなってきて、先生がどこまで内容を深掘りして説明できるかで、その先生の能力はなんとなくわかるものである。この先生の能力はたいして高くない。いくら英語と仏語とドイツ語が全然違うといったって、所詮日本語から比べたら3言語にはなんらか共通点があるわけですよ。他言語にある程度精通してるからこそできる質問にも、先生は気づかないし答えられない。ちなみに、こういう差別をナチュラルにしてくる人でも教える能力はとんでもなく高い人がいるのも事実である。
一級市民から見れば私ら二級市民は人間と家畜の間くらいの中途半端な存在なのは厳然たる事実だからね。
まあ、これは先生に限った話ではなく、移民向けの教科書を見ても彼らが何を期待しているかすぐわかる。「私の両親は移民で、母はメイドで父は大工でした。彼らは肉体労働を厭わず、非常に真面目でしたが最初は全然フランス語ができませんでした。私たちは質素ながらもとても幸せでした。」みたいなこと書いてあるわけよ。わかる?間違っても「父は医者で母は弁護士でした。私はインターナショナルスクールに通い、高等教育を受けたのちに国連でインターンシップした後アメリカの大学に進学しました。」とはならないわけ、笑。愚鈍で真面目で肉体労働をできる二級市民、一級市民である彼らのいうことを従順に聞いて低賃金でも喜んで働く人々、っていうのを最も求めているのよね。
どの国でも右翼化の傾向が進んでいるけれど、自分の立ち位置を考えさせられる今日この頃である。
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