私の運転の美学

今日は私なりの車の美学について勝手に語る。

私は30歳になってから初めて海外で車を運転し初めて丸9年くらい。普段のあらあらしさとは打って変わって、非常に菩薩な運転をする私のポリシーを語らせてくれ。ちなみに過去9年でスピード違反などで切符を切られたのは1度だけ。ほぼ無事故無違反である。

私の運転中の地味なテーマは「世界平和」であり、徳を積むように心がけてる。

まず、大きな商業車、それもダンプカーやら建設現場で活躍してそうな大きくてどろっどろの車、そして大きな大きな大型トラック。これは私の中の車の中の王様であり、一も二もなく道を譲るべき対象である。彼ら(の車)は、図体が大きい分、初動がのろいのでなかなか道を譲ってもらいにくい。が、一旦走り出せばこれほど強い車もなく、例えば仮に高速道路でぶつかったら我々普通乗用車は木っ端微塵になり、我々人間は挽肉になる運命である。本人たちも、自分たちの強さを自覚しているのか、そしてまあ、大きな車を運転している男たちは男気があるのか、高速道路などでは大変親切なので市街地ではより一層積極的に譲りたい。

私は商業車は「別に好き好んで今この瞬間運転してないがな。」ていう人たちが運転していると思っており、普通乗用車とは一線を画する存在だと思っている。バスもタクシーもしかり。白いバンは運転が荒々しい人が多い上に、すーーーぐ突っ込んでくるからまあ別に積極的にどうぞどうぞとは思わないけど、かといって彼らだって仕事なわけだからやっぱり譲る。車の運転は、簡単に徳を積める良い機会がそこらじゅうに転がってて「いいことをした」と満足しやすい。だって道を譲って欲しい人はたくさんいるわけだからさ。

バスもそう。バスはたくさんの人が乗ってて、運転手という職業として運転している人がおり、どうかんがえても重要度は一般乗用車より高い。

まあ、そんなわけで、たいていの車は私の車より偉いし道を譲るつもり満々である。

そしてちょっと譲った時に「ありがとよ。」てテールランプちかちかさせたり、手をあげて挨拶してくれたりすると、ますます嬉しい。しかし、運転が下手だと挨拶するどころじゃないので、そういうときはガン無視される。あと、道に不慣れな時ね。

こないだも超超超大きなあれはなんだ?巨大なトラックが「俺に道を譲ってくれ!」てどーんと突っ込んできたから「どーぞどーぞ。」てちょっとバックしたのね。でも大きな幹線道路を左折しないといけない&赤信号で難しくて相手は3車線を塞ぐ形。でも無事になんとか入れてあげたら、「ありがとよ!」てテールランプをチカチカさせてくれてしびれたよね。

この心意気が大事で、自分が道を譲れば、ちょっと気をよくしたその運転手がまた他の車に道を譲ってあげるかもしれない。そういう「良い雰囲気」を作り徳を積み、ほんの少し世界平和に貢献することこそが私の運転中のミッションである。

いい話でしょ?これはさ、キプロスのタクシー会社の社長から聞いた話なの。キプロスってさ、事故がすんごいの。毎日1回は大破した車を見てた。多いと2回。そして玉突きもダイナミックで、市街地なら9台、高速道路なら25台玉突きしてるのを見たことがある。彼らは道を譲る精神に乏しい上に市街地で法定速度+20キロは出すので、ぶつかる直前も「相手が譲って然るべき」て思いながら突っ込んでいくのでどかーんとぶつかる。そのために、みんな巨大なSUVに乗ってる、命を守るために、笑。今はどうか知らんけど。まあ、そんな車の事故大国のキプロスでさ、綺麗な運転をするタクシー会社の社長がいて、よく長距離通勤とかでお世話になったのよ。「随分綺麗な運転をしますね、珍しいですね。」て言ったら上記の話をしてくれたわけ。その人はずっと無事故無違反が自慢だって言ってた。これは日本で無事故無違反よりよっぽどすごくて、キプロスで無事故ってほぼ奇跡よ?私も無事故無違反とか書いたけど、一時停止中にノンブレーキの車に突撃されてどかんとぶつかってるからね、妊娠中に。100:0で向こうの過失だったけどさ。まあ、その無事故の神様みたいな人がいうことは絶対聞いておいたほうがいいと思ってるからそうしてる。

私はマニュアル車を運転してるけど、海外に来て初めて運転しはじめて、それもマニュアルっていうのが超自慢です、はい。

そして、私は燃費の悪い馬力のある大きな車が大好きです。もう馬力があるだけで運転してて気分がいい。運転が楽しくなる。去年ジュネーブで買った車がスポーツタイプで馬力があるので、運転楽しくなりました。

そんな感じ。

おしまい。

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