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  • 寿司と唐揚げの外交生活

    どーもどーも。

    ドイツの新居がトルコ人コミュニティど真ん中だったんですよ。我々新参者ですので、唐揚げと太巻き寿司を作って盛り付けて、3軒くらいに挨拶してきました。鶏肉2キロ買ったけど、思いの外こどもたちが食べちゃって、もっとご挨拶にまわるつもりがこれだけ。

    私、初対面の人に全然緊張しないんだけど、かといって社交的ってわけでもなく、実はクローズドな面もあり誰とでも仲良く喋りたいってわけではない。自分自身は全く社交したいと思ってなかったりする。そういう意味では無口だけど夫のほうがよほど社交的なのよね。

    かといってですね、必要な状況ではニコニコ振る舞えるのが大人ってもんですよ。と思って、唐揚げと野菜の太巻き寿司を作って挨拶に行きました。挨拶大事。ほんとはマフィンでも焼いたほうがいいんだろうけど、なんせ私はお菓子を焼くというのが苦手でして。

    トルコ系の人は食に保守的と聞いていたけれど、案外みんな「寿司大好き!」て言ってくれて、日本食ブームでよかったよねほんと。

    他の家にも近々挨拶に行きたいので次は何を作るべきか。また寿司と唐揚げでいいかな、笑。ラザニアもいいよね。トルコならムサカかな。そんな感じ。

    おしまい。

  • 義父と金鋸使ってDIYした話

    どーもー。毎日の生活に追いまくられてつい放置しがちですが、日記代わりにつらつらと書こうかな。

    今日は義父が家にカーテンレールをつけにきてくれました。そう、ドイツの家ってキッチンがついてないくらいだから、カーテンレールもついてないんですよ。信じられないよね。歴代のあらゆる住民が天井や壁に穴あけまくってる跡があるけど、我が家もそこに新たなる歴史を重ねるべく、ハンマードリルでコンクリの壁に穴をあけてカーテンレールをつけることにしたんですよ。

    うちは夫がDIYからきしだけど、ハンマードリルでコンクリの壁に穴をあけるってけっこう大変なんですよ。けっこうな衝撃で腕がぶれちゃて、穴が不用意に広がったりぶれたり、ろくなことがないよね。

    今回はIKEAで一番売れ筋らしきカーテンレール買ったんだけど、ちょうど良い長さに金鋸で切れ、て書いてあって横転。ちょっとやり方がわからずまごまごしてたら、義父がさっと切ってくれました。「日本人は金属のものを切り落としたり、穴をあけたりっていうのはDIYの範疇にないんですよ。」て義父に説明しといた。

    まあ無事なんとか本体はつけることができて、私もそのやり方を見てたので理論上は次は私一人でもできるかな?夫はなぜこれだけDIY達者な義父から一通り教わっておいてもらわなかったんだ、とは思いましたね。まあ何はともあれ、天井3mあるので取り付けるのが自分ではできなかったから、助けがあってありがたい。うち、無駄に脚立が大小2つあるんですけど、義父のDIYアシスタントとしてサポートするために、2つあってよかったです。今日では終わらなかったので、明日またきてくれるらしい。

    おしまい。

  • 私とIKEAの蜜月生活

    私とIKEAの蜜月生活は長く、結婚以来かれこれ9年。もうIKEAなしには生活できない。家具はおろか食器にいたるまでほぼ全てIKEAなのである。日本だとニトリやら無印など選択肢が豊富だが、ヨーロッパで引っ越しまくっている上にさして裕福でもない我が家はどう転んでもIKEA一択。でもIKEAのデザインは考え抜かれていてヨーロッパの生活にドンピシャに合っているのである。IKEAとヨーロッパの相性は抜群なのだ。ちょっとデザインがいい代わりに耐久性などは残念だったりするけど、それでも超健闘してると思う。なぜ長々こんなことを書いたかというと、今回もドイツに引っ越してきて今日もIKEAに行ったから。それも2回も。食べ物以外で困ったら、とりあえずIKEAに行こう、てなる。

    時々「IKEAの家具ばかりの生活なんて嫌になるんじゃない?」て聞かれるけど、私は心からIKEAを愛しているので今のところ全く気にならないどころか、ウキウキで使っている。そもそもアンティーク家具や先祖代々の家具っていうのは義実家にもいっぱいあるけど、見栄えはいい。でも見栄えだけが良くて実用性が皆無というか、あまりにも年代ものすぎて現代の生活にはどう転んでもマッチしないのである。

    また、今回引っ越しをして思ったけど、物を買う瞬間はお金がかかっても喜びが勝つものだが、結局のところメンテナンスや管理といった、目に見えないランニングコストが永遠にかかるので、物を持つこと自体が負担になったりする。しかも処分するときは「お金を出して買ったのに。」とか「壊れてなくて使えるのに。」なーんて思っちゃったりして、捨てる時にも一抹の罪悪感が拭えない。

    アンティークの家具なんて貰ってしまった日にはその責任がのしかかってくるので、今後も気楽にIKEA生活を楽しみたい。

  • 平和に車を運転する理由

    どうもどうも。

    毎日更新しようと勢いごんでたのも束の間、あっというまに書くのを放置した三日坊主は私です。書きたいなー、て思うことはあれども、実際に机に向かう時間が極端に少なくて全然実行に移せませんでした。

    ところで、私は自分がマニュアル車を運転できることを大いに自慢に思ってるわけですが、普段のアグレッシブな性格に反して、私は超安全運転で路上では仏のような気持ちで運転しています。夫には「普段は優しくて運転中に急に凶暴になる人は多いけど、その逆は生まれて初めて見た。」てたまに言われます。

    私もなんでかなー?て思ったりするのですが、運転中はなんとなく「世の中を良くしたい。」ていう気持ちが実行に移しやすいんですよね。ちょっとの気遣いが自分の周囲の車に乗ってる人の気持ちも優しくする、ていう連鎖が目に見えるのが楽しいのかも。どうぞどうぞと、相手に道を譲ることで気持ちが上向いて余裕のできたその人が、また違う車にどうぞどうぞと譲っているのを見ると、「良い連鎖を作れた。」と満足感があります。

    もちろん、そういった綺麗事だけではなく、現実的な理由もあります。まあ、端的にいうと私の運転が下手だからじゃないかと思うんですよね。下手だから、周囲の運転する人たちがイライラしていると事故の確率がグンとあがるけど、自分の技術ではいざというときにとっさに避けることができないから自分の車の周辺は良い雰囲気にしておきたい、ていう生存本能によるものかもしれません。あとは、自分が譲ってもらうことも多いから、自分が周囲に優しくしておけば、いざというときに自分も助けてもらえるかも、ていう期待も大いにありますね、笑。

    私の夫の一族は片道800kmだろうが、1200kmだろうが、がんがん運転していくタイプでして、結婚当初から「送迎が必要なのは子供だけだ。」ていう確固たるポリシーを持っていたために強制的に運転することになったんですよねーーー。夫の祖母はなんと還暦過ぎてから運転免許を取得してバリバリ運転していたもんだから、「え?還暦過ぎてても運転始められるよ?」ていう鬼一族だったもんで。

    私もできるだけ「どの場面でも大人1人馬力のパフォーマンスを発揮したい。」という気持ちがあり、そのために常に新天地でその現地の言語を勉強しているのもあります。ここで全然運転ができないとなると、運転が必要な場面だけ0馬力になり、夫婦で2馬力見込める場面でも1馬力しか発揮できないってことになるのが悔しいのです。ただ、長距離運転は断然苦手で、特にヨーロッパの大陸の高速道路は本当に入り組んでいるので乗り換え?分岐?が難しいとか、速度制限のないアウトバーンが難しいとか、まだ色々課題はあります。でも先週、今まで最大100kmまでしか連続運転できなかったのが、200kmまで運転することができたので、この勢いで走行距離を伸ばしたい今日この頃!!!

    そんな感じ。

    おしまい。

  • 移民には真面目な愚民であってほしいんでしょ?

    語学学校の先生って、移民である生徒をみくびっている人がたまにいる。全員じゃないけど、体感的に3割くらいはそう。今の学校は2人担任制だけど、1人は一歩踏み込んだ内容を教えてくれ生徒への期待「これくらいできるはず!」ていう意気込みを感じるが、もう1人は「どうせお前らに理解できるのはこの程度がせいぜいだろ。」ていう気配をうっすら感じる。

    まあ、ほんとに西欧が期待する移民というのは「愚鈍で真面目で肉体労働を厭わない低学歴な外国人」であるんだとヒシヒシと感じるし、そこに自分があてはまらないことに居心地の悪さを感じることがある。

    授業中、自分の子供時代仏語で説明して、と言われて「学校に行った後は、進学塾に通っていました。」というと「進学塾ではなく『初等教育サポート福祉施設(学校の内容が理解できない子供が補助を受ける機関)』と書くべきです。」みたいに言ってくる。は?ご冗談でしょ???て思うけどあえて突っかかったりはしない。また、「娘のドイツ語とフランス語の宿題を手伝いました。それらは時々難しかったです。(文法の便宜上そう書いただけで本来全く難しくない)」て説明したら、「『とても』難しかった、の間違いですね。」というではないか。は?!私ドイツ語C1(ドイツの大学入学許可レベル)に2023年に合格してるんだぞ?おめーーより、はるかにドイツ語できるわボケ、て思ったよね。でも、つまり先生は私をそれくらいのバカだとナチュラルに信じているんですよね。まぁ、もうナチュラルに「二等市民が自分たちより頭が良いなんてありえないし、あってはならない。」て思ってるんですよね、奴らは。。。

    私が夫が学者で引越しが多いと説明しても「貧しい移民が定住できなくて引越ししまくってお気の毒。」くらいのもんよ。

    でも、私も語学勉強歴が長くなってきて、先生がどこまで内容を深掘りして説明できるかで、その先生の能力はなんとなくわかるものである。この先生の能力はたいして高くない。いくら英語と仏語とドイツ語が全然違うといったって、所詮日本語から比べたら3言語にはなんらか共通点があるわけですよ。他言語にある程度精通してるからこそできる質問にも、先生は気づかないし答えられない。ちなみに、こういう差別をナチュラルにしてくる人でも教える能力はとんでもなく高い人がいるのも事実である。

    一級市民から見れば私ら二級市民は人間と家畜の間くらいの中途半端な存在なのは厳然たる事実だからね。

    まあ、これは先生に限った話ではなく、移民向けの教科書を見ても彼らが何を期待しているかすぐわかる。「私の両親は移民で、母はメイドで父は大工でした。彼らは肉体労働を厭わず、非常に真面目でしたが最初は全然フランス語ができませんでした。私たちは質素ながらもとても幸せでした。」みたいなこと書いてあるわけよ。わかる?間違っても「父は医者で母は弁護士でした。私はインターナショナルスクールに通い、高等教育を受けたのちに国連でインターンシップした後アメリカの大学に進学しました。」とはならないわけ、笑。愚鈍で真面目で肉体労働をできる二級市民、一級市民である彼らのいうことを従順に聞いて低賃金でも喜んで働く人々、っていうのを最も求めているのよね。

    どの国でも右翼化の傾向が進んでいるけれど、自分の立ち位置を考えさせられる今日この頃である。

  • バイトの応募に失敗した話

    どうもどうもー。先日フランス語だけに集中するのは良くないと思い、友達が紹介してくれたAIの数学関連の仕事の応募をしたんですよね。ちょ、あまりにも馬鹿な失敗をしたので、その話を笑い話に変えるべくこの記事書いてます。

    AIの会社らしく、CVも身分証も全部AI診断。私は日本語スピーカーの数学が得意な人ってことで応募したんだけど、まずAIによる「日本語に堪能かどうか。」の試験があるの。完全無人の試験。カメラとマイクをオンにした状態で試験を受けて、カメラに向かって質問された内容を答えていくまではよかった。。。が!!!筆記試験になったとき気づいてしまった。バグでウェブサイトが動かないしひらがなもうまく打ち込めない。アワアワ焦ったものの、AIも「こいつ筆記がクソすぎる」と判断したのか、何度もビデオカメラに向かって話す試験に切り替えられ、結果「日本語に堪能ではない」て診断結果が下されてしまった、、、、笑。おわた、笑。試験は一度しか受けられないので、これで私はおしまい。日本語使った数学のバイトに応募しようと思ったのに、そもそも日本語が使えない人として診断されてしまったので、これにてジ・エンド。

    この診断の後に友達に「ごめん失敗したー!」て話したら、Google Chromeじゃないと作動しなかった模様。あーーー、ちゃんと読んでなかった私が馬鹿だった。日本語試験のほかはAIは全部英語だったので、ちゃんと読めてなかった。Chrome推奨と書いてあったけど、推奨なんだから他でもいいだろ、て思ってさ。。。。

    これにて私のバイトの話はあえなく水の泡となったのでした。

    くやしー!!でも自業自得ーーーー!

    おしまい。

  • 市場で痛い目にあった日

    ここジュネーブは買い物は簡単ではない。物価が高過ぎて、普通のお肉1kgが60スイスフラン(約1万円)したりするので、だいたいはフランス側に買い物に行くのである。特に土曜日はフランス側で大きな市場が立つので、毎週行くのが恒例である。今日はそんな市場で初めて痛い目にあった。

    前日の疲れをひきずり疲れたままボーッと市場にきたのがまずかった。フレンドリーな男性2人が「うちを見て行きませんか。試食しませんか。」と誘ってくる。お店も大変綺麗で何やら美味しそうなオリーブやらパンに塗るパテやらが量り売りで並んでいる。あれこれ試食させてくれ、熱心に説明してくれる。落ち込んでいた気持ちも上向き、なんだか応援してあげようかなという気にもなり「じゃあ、2種類とそのオリーブをほんの少し買います。」と言った。だって、パンに塗るパテなんて、ジャム1瓶くらいもあれば十分ではないか。

    しかし、「買う」というや否や、その男の人の目はギラリと光り、グワっとゴム手袋をした両手いっぱいにパテを掬い取り、どちゃッとビニール袋に入れた。その量1500gほど。ビニール袋にクリーム状のパテを入れたら容易には取り出せない。この荒々しい所作を見た時点で「しまった、騙された。」と気づいた。だってパテって100gとかそういう単位で買うものでしょ?しかし、ベッタリとビニール袋にへばりついてるパテを目の前に「やっぱり買いません。」とはとても言えない雰囲気。いや、いつもの自分なら「こんなに要らないわ!なんて失礼なの!!」て言い切って去っていったと思うけど、元々疲れ切った状態で買い物に来ていた私。だから、最初から勝敗は見えていたのである。無念。

    一応「そんなにいるわけないでしょ?減らして?」ていって250gくらいまで減らしてもらったのである。でも断る隙を与えず同じ要領で、一度買うと言ってしまった他のパテとオリーブも大量に売りつけようとしてくる。これまただいぶ減らしてもらったものの、合計1kgぐらい(38ユーロ)は買わされる羽目になってしまった。そして、「カードがいい???」て聞いてくるではないか。あ、これはクレジットカード出したら情報抜き取られてもっと面倒なことになるな、と思い、キャッシュで払った。当然領収書もないけれど、元々奴らはそういう弱そうな人を狙っていたのであって、これは私の完敗であるが非常に惨めだった。

    そんな悲しい気持ちを引きずってオイスターバーに来て牡蠣を6つ食べたら少しは気持ちが上向いた。牡蠣はいつも正義。

    「よし、サーモンのお寿司が好きな息子のためにサーモンを買って帰ろう。」と思いついた。いつものお店に行き生食できるサーモンを買ったら、ふと「あ、そうだ、たまには他のネタも買おう。前は生臭かったけど、今回はいけるかも?」と思って、マグロやホタテやらエビなどを色々買った。これは56ユーロ。家に帰ってさまざまな用事をこなし、へとへとになりながらお寿司を握り、さあ夕飯でみんなでいただきます!というとき、とんでもないことに気づいた。ネタが前回以上に生臭くてとても食べられないのである。。。。やられた。。。完全にやられた。完敗だ。。。これだけの金額をドブに捨ててしまった。今日だけで100ユーロくらいドブに捨ててしまった。悲しみにくれながら握った寿司を捨てて、家族にうどんを作って食べた。非常に悲しかったが、ジュネーブで外食しようとお寿司のランチを食べたら50フランはするので、やはり外食するオプションは我が家にはないからしょうがない出費なのである。

    そうやって自分を「仕方がなかったことだ。」と励まして、「そうだブログのネタにでもしよう。」と自分を慰め、こうやって記事にした次第。いろんなことがあるよね。そんな日もあるのである。

    おしまい。

  • 自分がHSPかもしれない話

    どーもどーも。最近仲の良い友達と話してて、「あなた実はHSPなんじゃない?」てツッコミを入れられたので、かなりビックリした話を書きたい。HSP(Highly Sensitive Person)は、日本語で「非常に感受性が強い人」らしく、え、そんなことある???て私も最初は半信半疑。なにせ海外に出てきてから戦い続ける剣闘士もとい極妻の私が???

    私は元々かなり強いしたくましいし、まさに「現代版アマゾネス」。実際よく「あなたの強さが羨ましい」て言われる。まさかそんな繊細なことはないだろう。が、友達の分析では実際は

    元々の性格が繊細 →周囲を観察して脳みそフルパワーで情報処理し続けるのが常、細かいことが気になる →その繊細な網にひっかかったムカついた内容をTwitterに荒々しく書く →でも細かいことにたくさんイライラして既に脳みそが情報処理に追いつかず疲弊、体力消耗 →疲れ切って寝込む

    ていうことらしい。なるほど!たしかにそうかも。

    そう考えてみると、HSPの項目にけっこう当てはまるっちゃ当てはまる。後々の不測の事態に備えて怠りがないように入念に準備し、たかだか電車で1時間移動するだけでも遭難に備えてチョコレート持ち歩いたりモバイルバッテリー携帯したり。同様に、貴重品をスラれたらという恐怖に駆られて海外ではウェストポーチに貴重品を入れて365日持ち歩いて早7年。1人になり休憩する時間がないまま他人と数時間以上過ごすと疲れ果てちゃう時がある、とか?要は、不要なところで気にしいなのである。

    だが、別に悪いことばかりではない。

    さらに音楽家の彼女の見解では、音楽家にそう言う人は多いらしく、何かに取り組むと超絶な集中力を発揮できるから、舞台ではすごいパフォーマンスを発揮できる。が、その代償として、終わると倒れ込むくらい疲弊する、とな。それまさに私、笑。海外引越しでも、就職活動でも何か重要なイベントがあるたびに身体中にアドレナリンが駆け巡り、神経が冴え渡り、私は「ここ一番の重要な場面」でやたらめったら強い。イベントの取り仕切りもめっぽう上手い。ここ一番で自分が外すことは滅多にない。同様にドイツ語学習でも、仏語学習でも、何かに集中して取り組む、ていうことも得意なので、あんまり普通じゃない勉強量をこなすことができる。一方で、残念ながらそれはエネルギーの前借りに過ぎないし、とんでもない集中力を使っているので、そういった一大イベントの後はだいたい寝込む。

    また、私は不定期に燃え尽きてしまい、部屋を真っ暗にして1日ひっそり1人で閉じこもっていないと回復できない困った特徴を持っている。私自身は「パフォーマンスの発揮にムラがあるタイプ」と認識していたんだけど、もしかしたらHSPってことなのかもしれないなあ。友達いわく、「脳みそが情報処理でパンクしてしまって疲労困憊の状態」だそうな。ありがたいことに夫は、私が時々燃え尽きて灰になってしまったら、人間として再生するための休息時間が必要とわかっていて丸一日子供達を遠ざけて1人にしてくれるのである。

    かくして、自分はもしかしてやや繊細な人間なのかも?と生まれて38年にして新たな気づきを得た1日であった。

    おしまい。

  • お隣の席の子

    お隣の席の子はアフリカ某国から来ており、出身国からしておそらく難民。でも、正直いいまして、アフリカや中南米から来ている生徒の一部は、「今まで文字を書いたことがありません。」もしくは「かろうじてアルファベット書けます。」くらいの人がいる。だから、その子が持ってきているノートは「うちの4歳の息子が落書きしたんだろうか。」て思うようなものが表紙に書いてあり、ぱっと見は落書き帳。でもそれはよーーーく見るとアルファベットなのである。まあ、当然のことながら、ほとんど勉強したことがないらしく、全然授業にもついていけないのが特徴である。

    その子は何も悪くないよ???何も悪くないけど、その子と私が同級生という事実が時々耐えられないのよね。これは移民として海外に来ている日本人の試練だとも思う。日本は世界的に見ても義務教育の教育水準が高いからね。でも一方で、学校に通うことすらままならず、勉強の仕方もノートの取り方もわかりません、ていう人も世界にはいっぱいいるのよな。けどさ???その人と私が同レベルの生徒としてクラス内で扱われるのはさ、私のプライドが許さない。彼女と私が同レベルに扱われるというのは、拡大解釈して言えば、社会的にも「同程度の質の移民」と思われているってことでしょ。私が?この字もろくに書けない女と同レベルだって???ご冗談でしょ???て私は反論したいわけ。けど、いかんせん同じクラスにいるんだから、同レベルなのである。あーーーー、辛い。特にこの試練は語学の初級クラスで起こりがち。

    でも、こういうことは往々にしてある。貧しい国でも野心を持って這い上がるべく努力を重ねてハングリー精神ぶちかまして全身全霊で挑んでいくタイプと、思考が停止してそうなタイプ。

    その子は全然悪くないけど、その子がミスをするたびにイライラが募るのはどうしようもない。歯応えのある同級生であってほしい、て思っちゃうけど、その子にはその子の人生があるからしょうがない。ちなみに、私はマスクをして登校してその子に「具合が悪いの?」て心配してもらったが「いえ、ウイルスをもらいたくないから予防なの。東アジアでは一般的よ。」て言ったらね。。。すごい返事がきたわよ。「あなたの国は日本でしょ?日本はマスクをしないと暮らせないくらいゴミに溢れているのね。」ですって。。。おまえぶっ殺されたいんか、おめーの国とは違うんだよ、て殺意が湧きましたが、「日本は世界有数のクリーンな国だと言われてるわよ。」ていうに留めておきました。おめーの国と一緒にするんじゃねえ、て思うけど、この子は字も碌に書けないような環境の国から来てるんだからしょうがないのである。

    私の試練は続く。

    おしまい。

  • 専業主婦のキャリアの一貫性

    まあ専業主婦のキャリアに一貫性もクソもないわけですが、私には私の戦いがあるわけでございます。これはですね、第三者から、もしくは社会的に見て自分のステータスがどうか、などと考えだしては当然「無職のアラフォー女」が答えになりますから、そういった評価はもうあまり重視しないように生きています。

    が、私は私だからこそ、夫のキャリアを生きながらえさせられたといっても過言ではないでしょう。まあ、概してアカデミックの研究者が金持ちであったためしはなく、実家が極太で定期的な援助でもない限り、だいたいは貧困まっしぐらです。しかも欧州でそのキャリアを積もうと思うと、どの国に行っても言語が違うわけだから、これまた大変です。そうなってくると、配偶者側がどう立ち居振る舞いをするかで、おのずと研究者の命運も決まってくるわけです。いやまあ、アカデミックの世界で生き残るには本人の実力やら絶大な運とかそういうのもないと無理だけど、それは大前提としてさ。

    私の場合は、新婚生活当初、当時のレートでまさかのぶっちぎりワーキングプアの夫の元へ嫁いで行きました。キプロスでは英語を勉強して自腹でMBAをやって就職して経済的に支え、ドイツではドイツ語勉強してC1とって内定を複数ゲットしそれでも夫のキャリアのために全部ドブに捨ててスイスに引っ越し、スイスのフランス語圏のジュネーブではまたフランス語をA1からやって家族のスイス国内での生活を支えているわけです。でも客観的にみれば、キプロスの仕事と日本での仕事には何の関連性もないし、私個人のキャリアで考えればクソもミソもないわけですよね。でも私個人は密かに、いやブログに書いてるんだから声を大にして言ってるけど、これだけのことを出来る配偶者はそうおらんよ???て思いながら生きています。

    現実問題として、夫の周りは配偶者に命運を左右されて去っていった人がいっぱいいます。

    前者の例で言うと、とにかくお金がないときには即座に夫と同等のレベルで働き、旦那の仕事都合では即座に辞めることが求めらるので、それができないと研究者をやめることになります。例えば「今の翻訳の仕事が半年後に終われば500ユーロくらいになりそう。」なんてぽややーんと奥さんが言ってたらその時点でジ・エンド。実際彼女の旦那さんは辞めて行きました。他の例で言うと、現地の勤務先で奥さんと出会い結婚したものの、旦那さんを経済的に支えるために公務員になりキャリアを積んだ結果、旦那さんに良い仕事のオファーがきても奥さんは元々その国で生まれ育ってるから離れたくないし、奥さん側の実家も「この国に留まってくれ」の気持ちを込めて家なんかも買ってあげちゃってたりするからもうこの国から出られない、でジ・エンドとか。

    逆に妻の献身的なサポートで無事教授になった人たちも何人もいます。

    すごい例でいうと、12年間で10回海外転勤しました、とか、15年間でスイス3回、オランダ、イギリス、アメリカ、ドイツを転々としてついにスイスの某有名研究所で教授待遇になりました、とか。この研究所で教授の候補者になるには、他の大学などで最低でも教授でないといけないので、これもとんでもないことなんですよね。「海外転勤」と簡単に書いてるけど、駐在で特定の大学や研究所から送り出されているケースばかりでなく、都度転職しているケースもあるわけです。その場合、会社からのサポート0の状態で、引越し業者探して交渉して物件探したり学校探したり行政手続きしたり語学習得したり。当然これも海外から海外に引っ越すわけだから、配偶者も外国語を駆使して戦うことになります。これらの雑務が全部配偶者の肩にかかってくるから、これをこなせる配偶者をもつ家庭のみこれだけ転勤できるわけです。

    こうまで家族を犠牲にしても自分の研究に邁進したい人と、それを苦笑いしながらもついていく配偶者なくして、アカデミックの研究生活は持続しないといえましょう。あ、私は夫の分野の研究しか知らないので、その他は知りません。ちなみに、自分がこういった生活ができるのは、実家が転勤族で自分自身が引越しにも転校にも慣れていたためかと思われます。

    というわけで、アラフォー無職の女でありながらも、私自身、「私ってば、たいした女だわよ。」て思いながら生きています!!

    おしまい。