どーもどーも。
昨日は娘の小学校のボランティアで、ホットドッグ?ブラッドヴルスト?の売り子をしてきました。ここドイツはトルコ人も多く、イスラム教の家庭に配慮して、一般的な豚肉のソーセージだけでなく、鶏肉のソーセージもうるんです。
宗教的な影響か何かで、グリル台も焼く人も売る人も売り場も分けるという徹底っぷり。でも日本人の私はそれだけではない何かを感じました。そう、軋轢。ドイツ人はドイツ人でたむろし、トルコ人はトルコ人でたむろするのはまあ普通のことで、それは私も異論はない。私だって日本人がいたら日本人とたむろしたい。まあ1人もいないけど。でも、なんとなく、ドイツ人のメンバーが、トルコ人のメンバーを忌々しく思ってるような、トルコ系の人たちの肩身の狭さ?を感じた。
そこはかとなく、ドイツの人たちってトルコの人たちを憎んでるよね。トルコの人たちが数が多すぎるのかは知らんけど、微かな憎しみが空気に乗って漂ってる。彼らは絶対に認めないだろうけど。そして、なんかよーわからんけど、私は何故かドイツ側としてカウントされてた。
でもさ、露骨なんですよ。まずドイツ側の豚肉のソーセージ売り場の方は、紙ナプキンとかホットドッグを一時的に置く台とか、焼いたソーセージを一時的に保温する容器とか、とにかくグッズがよく揃ってる。一方、イスラム教メンバーのための鶏のソーセージ売り場は紙ナプキンもないし、色々ない。豚肉ソーセージの方には、グリル台に立派な照明がつけられてるのに、鶏肉側はちっちゃなライトが申し訳程度につけられてるだけ。
どーーーー見ても差がある。
そして、私は売り子をやって、夫は後片付けに志願したんだけど、夫も「イスラム教向けに鶏肉ソーセージ焼いたグリル台が油でギットギトでしばらく掃除されてない。これどうやって掃除するの?てくらい汚かった。でも他のドイツ人女性たちが『あの人たち全然片付けないからギトギトなのよ。適当に片付けといて』と言うから驚いた。」と言うではないか。すごいね?あからさますぎん?
でも語学学校でも思ったんだよね。ドイツ人の先生たちが「見渡しても見渡してもトルコ人の生徒ばっかり。」てため息ついてるの。え、だめなの?て思うけど、「その点、ともごんはわざわざ日本からきてくれてるからね。」と言ってくれる。嬉しいけど複雑。だから「ドイツ大好き」て言ってるトルコ人にはついぞお目にかかったことがない。
もう国籍や見た目だけで憎しみの対象にされたらたまらないなー、て正直おもう。ただ、ただね???やっぱちょっと「ん???」て思う親の割合はトルコ系に多いっていうのはある。吸ってたタバコを路上にポイ。ボランティアには志願しない。「俺にホットドッグ持ってきてー」と売り物のホットドッグを何故か無料でもらって食べる前提。おいおいおい、とはなった。でも、でもさ?こうあからさまに差をつける必要はないよね?ホットドッグの売り場もここまで差をつけると軽いいじめっぽくないか?とは思った。
そんなこんなで、そこはかとない軋轢を感じつつも、私は第三国出身なので、どっちがどうということもなく、ふわふわと中間漂って生きていけてる、今のところ。まだドイツに戻ってきて1ヶ月。その前もきっかり24ヶ月しか住んでないから解像度が低いけど、いずれわかるときがくるのかな?
おしまい。